Sala MASAKA

チェコ共和国 ペトロフ社訪問記

はじめに

Sala MASAKA創立10周年となる2024年。この年の8月16日、チェコ共和国にあるピアノメーカー、ペトロフ社を訪問するという一つの夢が叶いました。
 ペトロフは2017年から当サロンで愛用しているピアノです。木の温もりが非常に強く感じられ、聴く者の魂が優しく包み込まれるような音色は、ピアノソロでは勿論、弦楽器や木管楽器とのアンサンブルでも その魅力を発揮します。

 創業1864年のペトロフ社、本年が創立160周年だそうです。創業者のアントニーン・ペトロフから 木材厳選の鋭い目や  優れた職人技術が代々受け継がれ、現在、5代目となるスザナ・ペトロフが社長、CEOに6代目アンナ・プロウスコバが就任されています。CEOのアンナ・プロウスコバ氏は昨年2023年1月、当サロンの視察にいらっしゃいました。ペトロフピアノが日本でも愛されていることが少しでも伝わっていれば幸いです。

 さて、ペトロフ社のあるフラデツ・クラーロヴェーという街は首都 プラハから車で約1時間30分のところにあります。出発地点のプラハは、プラハ城を含む街の中心部全体が「プラハ歴史地区」として世界遺産に登録されているだけあり、中世からの建築物がずらりと建ち並び、自分が異次元からやって来た「よそ者」のような感覚に陥りました。途中、のどかな田園風景が広がり、目的地のフラデツ・クラーロヴェーまで行くと観光客はほとんどいない、静かな田舎街といった雰囲気でした。しかし、やはり建物は色も形も美しく、そがヨーロッパであることを感じさせるに十分な 味のある落ち着いた街でした。

フラデツ・クラーロヴェーのペトロフ本社は
■Museum(博物館)
■Factory(工場)
■Gallery(展示場)/ Café(カフェ)/ Hall(イベント会場)
の3つのエリアで構成されています。
記録の目的を兼ねて、1つずつご紹介させていただきます。
ペトロフの温もりが届きますように…。



 この度の工場見学は、スザナ・ペトロフ社長とCEOアンナ・プロウスコバ氏、営業部長のパベル・シュチェパーン氏のお取り計らい、そして何よりも株式会社ピアノプレップ代表/山内敦氏がペトロフ社との間に入り話を進めてくださったことにより実現したものでした。また、ペトロフ工場見学に同行して下さったドイツ在住のデザイナー加賀田恭子氏にも大変お世話になりました。お力添えくださいました皆様に、心より感謝申し上げます。

ペトロフ社
株式会社ピアノプレップ
デザイナー加賀田恭子
※加賀田恭子氏は”Sala MASAKA10周年記念コンサートシリーズ”や“鮫島明子ショパンを巡るコンサートシリーズ”のチラシデザインをお願いしているデザイナーで、Sala MASAKAのロゴデザインも彼女によるものです。2020年より拠点をドイツに移し、現在は、優秀なアーティスト(一般的にはコンテストやコンクール入賞者、国や大学からの推薦があった者)が国や協会、大学からの支援を受けて、数週から数ヶ月にわたり、泊まり込みで集中して製作活動にあたるアーティストインレジデンスとして、ご自身のプロジェクトを進めていらっしゃいます。このプロジェクトの模様が掲載されているサイトをご案内させていただきました。


ペトロフ社CEOアンナ・プロウスコバ氏(右から2人目)、営業部長パベル・シュチェパン氏(右)、ペトロフピアノ専門店 (株)ピアノプレップ 代表 山内敦氏(左) 2023年1月 Sala MASAKAにて
チェコの首都プラハからペトロフ社のあるフラデツ・クラーロヴェーまでは車で約1時間30分。途中、のどかな景色が広がります。
ペトロフ号
ペトロフ本社

Museum(博物館)

最初に案内されたのがMuseumと呼ばれている博物館。入るとすぐにペトロフ社とチェコの歴史が年表となって掲げられています。創業者から6代目までの経営者の写真も掲載されており、ペトロフ家がペトロフピアノを守り続けていることを実感しました。

 1864年にチェコのフラデツクラーロヴェーにグランドピアノ製造会社を構えたペトロフ家ですが、近隣国の戦争の影響で生産が中断された時期があったそうです。また、第2次世界大戦後、 社会主義国家となったチェコスロバキア時代の1948年には、工場の国有化が余儀なくされ、それまで築いてきたペトロフの財産や権利が没収されてしまったそうです。その後、1989年ビロード革命により共産主義が崩壊し、現在のチェコ共和国とスロバキア共和国に分離したのが1993年。その間、1948年から1991年までの43年もの間、ペトロフ工場は国営工場として稼動していたそうです。その後、民営化が加速しましたが、ペトロフ社が完全にペトロフ家の手に戻されたのは21世紀に入ってからだったとのこと。

 ペトロフ社の詳しい歴史はペトロフ社株式会社ピアノプレップのサイトでご覧いただけます。
 ここでは、説明を受けた中から興味深いと感じた出来事のみ、記載させていただきます。(✦はチェコの歴史)
 
1839年 創業者アントニーン・ペトロフ誕生
1864年 写真にある父親の建具工房で、最初のグランドピアノを作り、PETROF社を設立
1866年 近隣国の戦争(普墺戦争)の影響により製造が中断
1874年 ハーモニウムの製造を開始
1883年 アップライトピアノの製造を開始

1915年 創業者アントニーン・ペトロフ永眠
✦1914年-1918年 第1次世界大戦
✦1918年 チェコスロバキア共和国となる
1924年 日本への輸出を開始
✦1939年-1945年 第2次世界大戦
✦1948年 チェコスロバキア共和国の共産主義が確立
1948年  ペトロフ工場の国有化(ペトロフの財産や権利が没収される)
1958年  ハーモニウムの製造を終了する
✦1960年 国名がチェコスロバキア社会主義共和国に変わる
✦1968年 プラハの春
✦1989年 ビロード革命
1991年  ペトロフの国営化が解けて民営化が始まる
✦1993年 チェコ共和国とスロバキア共和国に分離
2001年  ペトロフ社が完全にペトロフ家の手に戻る

 Museumに展示されているピアノで最も古いものは、1867年製のピアノで、これは創業者のアントニーン・ペトロフが初期に作ったグランドピアノ。平行弦、ウィーン式アクションと説明プレートに書かれていました。また、このピアノのシリアル番号は216。これまでに200番よりも小さい番号のペトロフピアノは、世界中、どこからも確認されていないそうです。このことから、現時点でペトロフ社は、アントニーン・ペトロフはシリアル番号を1番ではなく200番をスタートにしていたと推測しているそうです。なお、当サロンのペトロフのシリアル番号は625645です。

 ペトロフ社は1874年から1958年までの84年間、ハーモニウムの製造もしていたそうです。ハーモニウムは「フリーリードを用いて足で空気を送って発音するタイプのオルガン」(ウィキペディアより)です。展示されているハーモニウムの中には自由に触れることが可能な楽器もあり、ペダルを踏んで実際に音を出してみると、アコーディオンのような音のする楽器から  低音が鳴り響きパイプオルガンのような重厚な音のする楽器まで、色々展示されていました。

 その他にもMuseumにはペトロフ社の歴史の中で意味のある楽器が並んでいましたが、正確に執筆できるほど理解できていないため、ここでの掲載は控えさせていただきます。(なお、ここに記載の内容はペトロフ社の方の説明とMuseumの各ピアノの脇に建てられている説明プレート、ペトロフ社のオフィシャルサイトを参考にしております。)
 Museumは高級志向の きらびやかな雰囲気は全くなく、アットホームで、それでいてペトロフ社160年の重みが感じられる空間でした。
 統治する国が変わったり、資本主義と社会主義のラインをまたいだり、国名が変わったり、激動の歴史の中にあったチェコで生きてきたペトロフ社。この後案内された「工場」では、ペトロフ社が160年間守り続けてきている中枢を感じることが出来ました。(「工場」編に続く)
創業者アントニーン・ペトロフが最初にグランドピアノを作ったこの建物は、彼の父親の家具工房だったとのこと。扉の左脇にあるプレートには、「ここで最初のグランドピアノが作られた」と刻印されていました。ここから工場までは車で5分位。
飾り気のないMuseumには、歴史的なペトロフピアノが所狭しと並んでいます。
グランドピアノとアップライトピアノのアクションの違いや、シングルエスケープメントとダブルエスケープメントの違いについても説明してくださいました。
ペトロフ社はアップライト型の足踏み式リードオルガンであるハーモニウムも製造していた時代があり、数台のハーモニウムが展示されていました。アコーディオンのような音がするものからパイプオルガンのような重厚な音のする楽器まで、様々でした。

Factory(工場)

近日公開

Gallery(ギャラリー)/ PETROF Café(カフェ)/ Hall(イベント会場)

近日公開

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