Museum(博物館)
最初に案内されたのがMuseumと呼ばれている博物館。入るとすぐにペトロフ社とチェコの歴史が年表となって掲げられています。創業者から6代目までの経営者の写真も掲載されており、ペトロフ家がペトロフピアノを守り続けていることを実感しました。
1864年にチェコのフラデツクラーロヴェーにグランドピアノ製造会社を構えたペトロフ家ですが、近隣国の戦争の影響で生産が中断された時期があったそうです。また、第2次世界大戦後、 社会主義国家となったチェコスロバキア時代の1948年には、工場の国有化が余儀なくされ、それまで築いてきたペトロフの財産や権利が没収されてしまったそうです。その後、1989年ビロード革命により共産主義が崩壊し、現在のチェコ共和国とスロバキア共和国に分離したのが1993年。その間、1948年から1991年までの43年もの間、ペトロフ工場は国営工場として稼動していたそうです。その後、民営化が加速しましたが、ペトロフ社が完全にペトロフ家の手に戻されたのは21世紀に入ってからだったとのこと。
ペトロフ社の詳しい歴史はペトロフ社や株式会社ピアノプレップのサイトでご覧いただけます。
ここでは、説明を受けた中から興味深いと感じた出来事のみ、記載させていただきます。(✦はチェコの歴史)
1839年 創業者アントニーン・ペトロフ誕生
1864年 写真にある父親の建具工房で、最初のグランドピアノを造り、PETROF社を設立
1866年 近隣国の戦争(普墺戦争)の影響により製造が中断
1874年 ハーモニウムの製造を開始
1883年 アップライトピアノの製造を開始
1915年 創業者アントニーン・ペトロフ永眠
✦1914年-1918年 第1次世界大戦
✦1918年 チェコスロバキア共和国となる
1924年 日本への輸出を開始
✦1939年-1945年 第2次世界大戦
✦1948年 チェコスロバキア共和国の共産主義が確立
1948年 ペトロフ工場の国有化(ペトロフの財産や権利が没収される)
1958年 ハーモニウムの製造を終了する
✦1960年 国名がチェコスロバキア社会主義共和国に変わる
✦1968年 プラハの春
✦1989年 ビロード革命
1991年 ペトロフの国営化が解けて民営化が始まる
✦1993年 チェコ共和国とスロバキア共和国に分離
2001年 ペトロフ社が完全にペトロフ家の手に戻る
Museumに展示されているピアノで最も古いものは、1867年製のピアノで、これは創業者のアントニーン・ペトロフが初期に作ったグランドピアノ。平行弦、ウィーン式アクションと説明プレートに書かれていました。また、このピアノのシリアル番号は216。これまでに200番よりも小さい番号のペトロフピアノは、世界中、どこからも確認されていないそうです。このことから、現時点でペトロフ社は、アントニーン・ペトロフはシリアル番号を1番ではなく200番をスタートにしていたと推測しているそうです。なお、当サロンのペトロフのシリアル番号は625645です。
ペトロフ社は1874年から1958年までの84年間、ハーモニウムの製造もしていたそうです。ハーモニウムは「フリーリードを用いて足で空気を送って発音するタイプのオルガン」(ウィキペディアより)です。展示されているハーモニウムの中には自由に触れることが可能な楽器もあり、ペダルを踏んで実際に音を出してみると、アコーディオンのような音のする楽器から 低音が鳴り響きパイプオルガンのような重厚な音のする楽器まで、色々展示されていました。
その他にもMuseumにはペトロフ社の歴史の中で意味のある楽器が並んでいましたが、正確に執筆できるほど理解できていないため、ここでの掲載は控えさせていただきます。(なお、ここに記載の内容はペトロフ社の方の説明とMuseumの各ピアノの脇に建てられている説明プレート、ペトロフ社のオフィシャルサイトを参考にしております。)
Museumは高級志向の きらびやかな雰囲気は全くなく、アットホームで、それでいてペトロフ社160年の重みが感じられる空間でした。
統治する国が変わったり、資本主義と社会主義のラインをまたいだり、国名が変わったり、激動の歴史の中にあったチェコで生きてきたペトロフ社。この後案内された「工場」では、ペトロフ社が160年間守り続けてきている中枢を感じることが出来ました。
【チェコ共和国 ペトロフ本社訪問記】
■はじめに
■Museum(博物館)編
■Factory(工場)編
■Gallery(ショールーム・カフェ・ホール)編
■あとがき
1864年にチェコのフラデツクラーロヴェーにグランドピアノ製造会社を構えたペトロフ家ですが、近隣国の戦争の影響で生産が中断された時期があったそうです。また、第2次世界大戦後、 社会主義国家となったチェコスロバキア時代の1948年には、工場の国有化が余儀なくされ、それまで築いてきたペトロフの財産や権利が没収されてしまったそうです。その後、1989年ビロード革命により共産主義が崩壊し、現在のチェコ共和国とスロバキア共和国に分離したのが1993年。その間、1948年から1991年までの43年もの間、ペトロフ工場は国営工場として稼動していたそうです。その後、民営化が加速しましたが、ペトロフ社が完全にペトロフ家の手に戻されたのは21世紀に入ってからだったとのこと。
ペトロフ社の詳しい歴史はペトロフ社や株式会社ピアノプレップのサイトでご覧いただけます。
ここでは、説明を受けた中から興味深いと感じた出来事のみ、記載させていただきます。(✦はチェコの歴史)
1839年 創業者アントニーン・ペトロフ誕生
1864年 写真にある父親の建具工房で、最初のグランドピアノを造り、PETROF社を設立
1866年 近隣国の戦争(普墺戦争)の影響により製造が中断
1874年 ハーモニウムの製造を開始
1883年 アップライトピアノの製造を開始
1915年 創業者アントニーン・ペトロフ永眠
✦1914年-1918年 第1次世界大戦
✦1918年 チェコスロバキア共和国となる
1924年 日本への輸出を開始
✦1939年-1945年 第2次世界大戦
✦1948年 チェコスロバキア共和国の共産主義が確立
1948年 ペトロフ工場の国有化(ペトロフの財産や権利が没収される)
1958年 ハーモニウムの製造を終了する
✦1960年 国名がチェコスロバキア社会主義共和国に変わる
✦1968年 プラハの春
✦1989年 ビロード革命
1991年 ペトロフの国営化が解けて民営化が始まる
✦1993年 チェコ共和国とスロバキア共和国に分離
2001年 ペトロフ社が完全にペトロフ家の手に戻る
Museumに展示されているピアノで最も古いものは、1867年製のピアノで、これは創業者のアントニーン・ペトロフが初期に作ったグランドピアノ。平行弦、ウィーン式アクションと説明プレートに書かれていました。また、このピアノのシリアル番号は216。これまでに200番よりも小さい番号のペトロフピアノは、世界中、どこからも確認されていないそうです。このことから、現時点でペトロフ社は、アントニーン・ペトロフはシリアル番号を1番ではなく200番をスタートにしていたと推測しているそうです。なお、当サロンのペトロフのシリアル番号は625645です。
ペトロフ社は1874年から1958年までの84年間、ハーモニウムの製造もしていたそうです。ハーモニウムは「フリーリードを用いて足で空気を送って発音するタイプのオルガン」(ウィキペディアより)です。展示されているハーモニウムの中には自由に触れることが可能な楽器もあり、ペダルを踏んで実際に音を出してみると、アコーディオンのような音のする楽器から 低音が鳴り響きパイプオルガンのような重厚な音のする楽器まで、色々展示されていました。
その他にもMuseumにはペトロフ社の歴史の中で意味のある楽器が並んでいましたが、正確に執筆できるほど理解できていないため、ここでの掲載は控えさせていただきます。(なお、ここに記載の内容はペトロフ社の方の説明とMuseumの各ピアノの脇に建てられている説明プレート、ペトロフ社のオフィシャルサイトを参考にしております。)
Museumは高級志向の きらびやかな雰囲気は全くなく、アットホームで、それでいてペトロフ社160年の重みが感じられる空間でした。
統治する国が変わったり、資本主義と社会主義のラインをまたいだり、国名が変わったり、激動の歴史の中にあったチェコで生きてきたペトロフ社。この後案内された「工場」では、ペトロフ社が160年間守り続けてきている中枢を感じることが出来ました。
【チェコ共和国 ペトロフ本社訪問記】
■はじめに
■Museum(博物館)編
■Factory(工場)編
■Gallery(ショールーム・カフェ・ホール)編
■あとがき